( 敦賀蓮グッドエンド/蓮の交際宣言直後 ) 蓮が社長室へアルマンディのCM撮影中の顛末を報告しに行ったので社は1Fのラウンジでその帰りを待っていた。 今日では芸能人の恋愛事情は比較的オープンになっているし、元々社長はリベラルな考えの人間だ、事務所の後輩 に手を出したと叱責されたり別れさせられるなんて話にはならないだろう。 しかし…………… 思ったよりも時間がかかっている。 エレベーターホールで別れてからの時間を考え少しばかり不安を滲ませながら社は自販機で買ったコーヒーを啜る。 早めに事務所に寄ったため仕事の入り時間まではまだ余裕があるが、あまり話が長引くようなら一応携帯を鳴らしてや った方がいいだろう そう考えて残りのコーヒーを飲み干したその時、社のスーツのポケットで携帯がけたたましく鳴り出した。 しまった!! マナーモードにしておくのを忘れていた。 電気製品に嫌われる体質の社は携帯を長時間素手で触ることが出来ない。 だから通話にしろメールにしろ携帯を使う時には必ず薄い手袋を着用する手間がいる。 その間呼び出し音が鳴りっ放しになってしまうので、人がいる場所では迷惑ならないよう必ずマナーモードにしていると いうのに、今日は蓮のマンションからまず事務所に寄る事になっていたのでうっかりしていた。 「ひええっ、もうちょっと、手袋するまで切れてくれるなよっっ」 しかし社が手袋を装着し終るとぷつりとポケットの中の携帯は鳴り止んでしまった。 「あちゃ〜誰からだろう?着信履歴はっと…」 「あ〜確認しなくていい社、俺だ。居場所が判ったからもういいぞ」 背後からかけられた声に振り向くと、声の主はLMEの俳優セクションを統括する松島主任、いわゆる社の直属の上司だ った。 「おはようございます、主任。それで俺に何か用ですか?」 「ん〜〜、まあ用っちゃ用だが、俺のじゃない。とりあえず付いて来い」 「へ?」 疑問符を飛ばしながら首を傾げる社をよそに松島は事務所の奥へ進んでいく。 たしか1Fの一番奥には社長室へ直通のエレベータしかないはずだ。 その後を追いながら社は心臓が跳ね上がるのを自覚していた。 「なっ、何です?蓮に何かあったんですか?!」 今、社長室には蓮がいるはず。 そこで何かあったのだろうか? 動揺する社が促されるままエレベーターに乗り込むと、 「行けばわかる」 と松島は答えを濁して詳しい事を教えてはくれなかった。 ドキドキと早い鼓動を刻む心臓を押さえるようにして社はエレベーターへと乗り込む。 社長室直通なため、たった二つしかないボタンの一方を押すとふわんとした浮遊感と共にエレベーターが動き出した。 ※※※※※※ 「失礼します」 ノックをして扉を開けた松島に続いて社は社長室へと入った。 やたらと広く、豪華な造りのこの社長室にはいかにLMEの看板俳優・敦賀蓮の担当とはいえ、いちマネージャーでしか ない社はほとんど入ったことがない。 床には毛足の長い絨毯が広がり、天井にはシャンデリアが輝く。 窓際にある猫足の豪奢な応接用のソファーは一体いくらするものなのか想像もつかなかった。 この部屋では零して汚してしまうことを想像すると怖ろしくてコーヒーの一杯だって飲めやしないと社は思っていた。 久々に入った社長室をぐるりと見回す。 しかし蓮の姿はどこにもない。 代わりにタレントセクションの主任・椹の姿があって… (松島さんと俺と椹さん…なんだこのメンツ…) 嫌な予感が社の背筋を駆け上がった。 「いや〜急に呼び出してスマンな。社君、実は君にちょっと聞きたい事があるんだが…そんな所では何だ、まぁこっちへ 来てくれたまえ」 ニコニコ笑って手招きする社長に思わず後退りをしたくなる。 一歩下がったその背にいつの間に背後に回ったのか松島の身体が当たった。 「逃げるな社」 がしりと腕を掴まれるとズルズル引きずられるように社長の前に連れて行かれる。 事情が飲み込めていないのか椹も驚いたようにその様子を眺めていた。 「ん〜…じゃ、まあ単刀直入に聞くとするか」 三人揃って用意された長椅子に腰掛けると社長はおもむろに口を開いた。 「アルマンディのCM撮影中、蓮と最上君の間に一体何があった?」 ぶはっ!!ごふ、ごほっ!! よかったコーヒーなど出されていなくて… 社長の質問に噴出してしまった社は頭の片隅でそんな事を思いながらたらりと冷や汗をかいた。 「最上君と敦賀君に何かあったんですか?」 キョーコのマネジメントを統括している椹が心配そうに聞いてくる。 「ああ、あったらしい。さっき蓮の奴が最上君と付き合うことになったと報告してきたぞ」 「「何だってええええええぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっっ!!!!」」 社長室に野太い男達の悲鳴が木霊した。 社を連れてきた松島も詳しい話までは聞いていなかったのだろう、椹と一緒になってかぱりと顎が落ちている。 (やっぱそうなるよなぁ…) その姿を見た社はあの日の記憶を手繰り寄せながら思わず苦笑いをした。 自分だって撮影の最終日、前日までの蓮の険悪な雰囲気が嘘のように掻き消えていたことを不思議に思ってキョーコ と仲直りしたのかと蓮に聞いてみれば、 「ええ、社さんが引っ掻き回してくれたおかげで最上さんと付き合えることになりました」 などとニコニコ笑って言うものだから、今の松島と椹のように口を開けた状態でしばらく固まっていた覚えがある。 「それで、何があったんだ?」 社長がぐぐっと身を乗り出して聞いてくる。 だからといって何でもほいほいと答えるわけにもいかない。 場合によっては蓮との信用問題になるのだ。 「蓮は何と言っていましたか?」 「何か言ってりゃお前さんをここに呼んだりはせんよ」 「では俺にもお答えすることは出来ません」 「ほう…………中々言うじゃねぇか」 社長の声のトーンが低くなった。 「流石に蓮のマネージャーを今までで最長期間務めているだけはある。そのくらいじゃなけりゃアイツの信頼は勝ち得な いわな」 社長の目が眇められているので褒められているのにちっとも浮いた気持ちになれない。 まるで腹を空かせた肉食獣に狙いを定められた獲物の気分だ。 「その覚悟は立派だが、事務所の経営サイドとして俺達はなにが起こったのかを把握しておく必要があるんだよ。この 業界何が発端でスキャンダルと騒がれるか判ったものじゃない。さっき蓮にも話したが事務所としては二人の事は何 も知らないというスタンスを取るからそのつもりでいてくれ」 社長の言葉にひやりと社の肝が冷える。 事務所はゴシップ誌にすっぱ抜かれたら二人を守ってくれないつもりなのだろうか? 「おい、何をこの世の終わりのような顔をしている。だから何も知らなければアイツ等が本当に困っている時に手を差し 伸べてやることも出来ないって言っているんだ。いいか、俺達はアイツ等が最も輝ける舞台へ立てるようサポートする のが仕事だ。その障害になる可能性のある事柄は事前に知っておかねば対処できん」 社の顔色の変化を読むように社長は言葉をたたみ掛ける。 「それとも何か、お前はスキャンダル騒動が起こってから俺に詰め掛けた芸能記者どもの相手をしろと言うつもりか?事 情も知らないってのにそれで最善の対処をしろと?」 「いえ…そんなつもりは…」 社長の言葉に同席している二人の主任も大きく頷いた。 「お前は蓮のプライバシーを守るつもりかもしれないが、それによってより大きな物が失われる可能性を考えろ。最低限 の事のあらましだけでいいんだ、それにここにいる二人以外には決して口外せん」 その言葉がトドメだった。 社は社長に促されるままCM撮影中に起こったことを順を追って話し始し始めた。 キョーコが市ヶ谷の求める演技に応える事が出来なくて悩んでしまった事。 そのキョーコに迂闊にも蓮とのキスを唆すような事を言ってしまったこと。 それによって蓮が激怒し撮影そのものが思ったように進まなくなったこと。 そして… 「それで最終日の前日までは確かに蓮はキョーコちゃんを突き放していたんですが、一夜明けたらもう豹変してて…」 「じゃあ、君はその晩二人に何があったかまでは知らないんだな?」 「はい、でも早朝一緒に朝日を見には行ったらしいです。キョーコちゃんが嬉しそうに話してくれたので」 「ちっ、俺が知りたいのはそんな健全なお話じゃねえんだよ」 一瞬、社長が舌打ちをした気がして俯き加減で話していた社は顔を上げた。 「…?、何か言われました?」 「いいや、別に」 … いや、やっぱりその朝日を見に行ったという辺りが怪しいか… さっきまでハッキリと喋っていた社長が口の中でぶつぶつと独り言を言い始める。 … 未経験な最上君にすぐ手を出すほどがっついてるとは思えんし、告白くらいで治まったとも思えん…うむ、やはりキス 位まではいったのか?… ポカンとしている社達を放ったらかしにして社長は一人で何事かを考えていたかと思うと、急に頭を掻き毟って吼えるよ うな大声を上げた。 「ああ、もう!肝心な事が何も判らんじゃないかっっ!!」 びくりと社長と向かい合っている三人が身体を震わせる。 そして、うぬう…と唸る社長の姿に主任同士が顔を合わせ目配せし合うと、恐る恐る松島が口を開いた。 「いや……社長、あの二人が付き合っているという事実の裏付けが取れたなら十分なんじゃ…」 その言葉に椹も追従する。 「それにこの事はあの、マリアちゃんには言われたんですか?」 腕を組み、イライラと床に足を打ちつけながら身体を揺すっていた宝田社長の動きがぴたりと止まった。 「そうだっ!マリアのことがあった!!俺としたことが思いっきり失念していた……う〜む、蓮と最上君が付き合っている と知ったらマリアは何と思うことか…マズイ、これはマズイぞ……諸君何かいい知恵はないかね…?」 「はあ、そう言われましても…」 社長の孫娘の宝田マリアは蓮の事を好いている。 それは懐いているという可愛らしいレベルではなく、まさに愛を語る社長の孫といった感じでどっぷりとディープな初恋な のだ。 蓮目当てでLMEのオーディションを受けに来ようものなら審査会場に辿り着く前に追い返してしまうし、現場で蓮にモー ションをかける人間がいたら近寄って行ってとんでもない悪戯を仕掛ける。 社達は密かに思っていたのだ。 『あの子がいる限り蓮には恋人なんて出来ないんじゃ…』 と。 しかし予想を裏切って蓮は最上キョーコとの交際宣言を社長にしてしまった。 そうなるとやはり気になるのはマリアの動向だ。 キョーコを担当している椹としてはその心配は拭えない。 「こんな事を言うのは失礼かもしれませんが、マリアちゃん、最上君に何か悪戯でも仕掛けるんじゃないかと…」 「いや、それはないな。マリアは蓮だけでなく最上君のことも姉のように慕っている。少なくとも蓮の事を理由に彼女に 悪さを仕掛けるなんて事は考えにくい。それに…マリアがちょっかい出したところでどうこうなるようなタマじゃないだ ろう?最上君は」 社長の言葉に三人が三人とも大きく頷く。 「だが、やっぱりショックだろうなぁ……蓮と最上君のことは祝福してやりたいが……ううむ……どうしたものか…」 頭を抱え出す社長に同調したかのように主任達も頭を悩ませる。 「こうなったら自然に任せるしかないんじゃないですか?」 「いや、ちゃんと言っておかないと後で知らされるほうがショックがでかいと俺は思うぞ」 「簡単に言うな松島。じゃあ一体誰が彼女に伝えるんだ?」 「それは社長の口から直々に…」 社長がうっと胸を押さえた。 「言えん、とても俺の口からは言えんっっ」 すると主任達の視線が社に向けられて、 「「お前には何か考えはないのか?」」 と、両サイドからにじり寄られた。 うううっそんな無茶なっっ 社長や主任達に思いつかないことをいきなり自分に聞かれても… 返答に窮して社が口をぱくぱくさせていると、ピリリリとそのポケットで再び携帯が鳴り出した。 急いで社長室まで来たためにずっと手袋を嵌めっぱなしだった社は素早くそれに応答する。 電話を掛けてきたのは蓮だった。 「あ、社さん。今どこです? ロビーに姿が見えないので俳優セクションに行ったんですが、松島さんの姿もないし…」 「いやぁ、その松島さんに呼び出されてさ、今ちょっと話し込んでたとこなんだ。だけどもう終ったから、うん、そうだよな、 そろそろ移動しないと入り時間に間に合わなくなるよな!! うん、うん、判ったすぐ行くから、じゃあな」 通話を切ると今が逃げるチャンスだと社は立ち上がり、 「すみません、蓮の仕事の時間が迫っているのでこれで失礼します。あと、さっき言ったこと以上の事は俺は本当に知 りませんから。それでは」 と、まくし立てるとぎりぎり走らない程度の早足で社長室を出ることに成功した。 「た、助かった〜〜蓮、恩に着るよ…」 あのまま社長室に居続けたら社長と主任達からどんな無理を言われたか判ったもんじゃない。 廊下に出た社はほっと息を吐き窮地を救ってくれた携帯をコツンとおでこに当てた。 すると、 ピ―――――――― と、おかしな音が鳴り出して、液晶からは全ての表示が消えてしまった。 「うそっ!!素手で触ってないのにっっ!!」 何が原因かは不明だが、極度の緊張を強いられた社の体からはいつも以上に機械に嫌われる何かが発せられている のかもしれなかった。 何てことだ。 大事な電話番号などはメモリーを控えてはいるが、打ち込んだばかりの予定は全部飛んでしまっただろう。 ツイてない。 今日は朝からツイていない… 何だか泣きたくなる気持ちを抑えながら今年何台目かも覚えていない携帯の残骸を握り締め、社はとぼとぼと蓮の待 つ一階へと向かって歩き出した。 End |