(敦賀蓮グッドエンド/付き合って3ヶ月以上) それは昼食休憩に入ったばかりのことだった。 「お、そろそろじゃないか?」 腕時計で時間を確認すると社は携帯のマナーモードを解除してワンセグ放送のチャンネルを合わせ始めた。 「あっ!ちょっと」 待って下さいと蓮が止める間もなく受信した電波に乗って番組の司会者がゲストを紹介する声がスタジオに響く。 『それでは登場していただきましょう。丸山留美ちゃんと京子ちゃんです!!』 昼食のケータリングサービスの周りに集まっていた出演者とスタッフが一斉に振り向いた。 マズイ。 このままでは騒ぎになってしまう。 蓮は立ち上がると社をスタジオの外へと促すためにその腕を引こうとした。 ところが、蓮が動くよりも早く、 「今、京子さんの名前が呼ばれませんでしたか?」 聞き間違いかもしれないと牽制し合うスタッフを代表するように緒方監督が二人のいるテーブルへとやってきて社に訪 ねた。 「そう、そうなんですよ!他のドラマの番宣で恐縮ですが、もう俺、楽しみで!昼の帯番組に出ると一気に知名度も上が りますからね!!」 社はまるで自分の事のように嬉しそうだ。 蓮だって勿論嬉しい。 知名度が上がれば仕事のオファーも増えて演じる役の幅も広がるだろう。 現場が変わると新しい出会いの機会にも恵まれるし、それはキョーコの今後の人生に大きな財産となる。 けれど… 「うわっ!マジでこれ京子ちゃんなの?」 「スゴい、ほとんど別人…」 「驚いた、こんなに綺麗な子だったかしら?」 携帯を所持している者は皆テレビに切り替えたらしくあちこちで驚きの声が上がる。 隣を振り返るとあんぐりと口を開けたままで社と緒方監督が固まっていた。 「蓮……これ、本当にキョーコちゃん?」 携帯の画面を指差したまま社がぎこちない動きで振り向く。 それは驚くだろう。 未緒はどちらかといえば素のキョーコのビジュアルに近いが、今画面に映っているナツは違う。 大人っぽく抑えた髪型にシャープな印象のメイクは蓮に叩き込まれた立ち振る舞いによってより洗練された空気を醸し 出して、ヒールの高い靴を履けばもとよりスレンダーなその体型はまるでモデルそのもののように見える。 テレビの中の客席からも可愛いの声に混じって綺麗、カッコイイといった声が聞こえてくる。 それらは丸山留美にではなくキョーコに向けられた言葉に違いない。 「今更言うのも何ですが、京子さんて役によって随分印象の変わる方なんですね」 緒方監督も驚きを隠せないようだ。 役作りの相談をされた時も、モデルの立ち振る舞いを教えて欲しいと頼み込まれた時も、蓮だってまさかここまでの変 貌を遂げるとは思ってもみなかった。 それ故に蓮のマンションに泊まったキョーコがナツのメイクを施して役に入った瞬間を初めて見た衝撃は今騒いでいる 彼らの比ではなく、原石の一面がまた一つ磨かれてまばゆい光を放つ様を目の当たりにし、その恋人として蓮は少し 複雑な心境に陥らざるを得なかった。 「俺、キョーコちゃんに対する印象変わったかも…」 ほら、やっぱりだ。 番組を見る男性スタッフの目付きが変わっている。 知らず吐く息が重くなった。 「……悪い。蓮」 周囲の状況を理解した社が溜め息をつく蓮に慌てて謝る。 「迂闊だったよな俺…」 最上キョーコという少女はまだ光り始めたばかりの原石で、その磨き方によっていくらでも輝く可能性を秘めている。 今ここにいる人間は誰もがそのことに気付いたことだろう。 そして何ヶ月にも及ぶ撮影を通して彼女がその年頃の少女とは思えないほど素直で純朴で、驚くほどピュアな心の持 ち主だという事も知っている。 時にはおかしな言動もするし、突然自分の妄想の世界に浸ってしまうこともあるが、細やかな気配りが出来て明るく頑 張り屋の彼女は、蓮の欲目を引いたとしても十分魅力的な女の子なのだ。 だからこそ心配にもなる。 蓮とキョーコが付き合っていることは公表できない。 つまり傍から見れば現在キョーコはフリーな訳だ。 何ヶ月も同じ作品に携わるキャストとスタッフが恋仲になるという話は業界で意外と良くある話で、特に新人のキョーコ にはスタッフも声がかけやすいことだろう。 蓮という恋人がいてキョーコが他の男に靡くとは思えないが、キョーコにモーションを掛ける人間が増えるのは正直面白 くない。 しかも演技に集中しなくてはならない現場においてその作品のスタッフがキョーコを口説くかもしれないという状況は蓮 の精神衛生上非常によろしくない訳で… 「俺、ちょっとキョーコちゃんに連絡入れてみるわ」 次にスタジオ入りした時に現場の雰囲気が変わっていてもキョーコが戸惑わないようにと社はすかさずフォローを入れ ようとする。 しかし、 「あれ?何だ、留守電だ」 一旦切ってまた掛け直してもやはり電話は繋がらなくて… 何度も何度もリダイヤルボタンを押す社を見て蓮は本日2度目の溜め息をついた。 「社さん。本人が生番組に出ているのに電話に出られる訳ありませんよ」 「あ…」 ※※※※※※ 「あ、キョーコちゃん?やっと繋がった」 昼の生番組が終ってから何度かけても留守電になっていた携帯に漸くキョーコが応答した。 どうやら今は移動中らしい。 電話の向こうからノイズに交じって複数の話し声が聞こえてくる。 午後の撮影に入ってからは電話をかけるのを控えていた社は、衣装換えのタイミングを狙って再びリダイヤルボタンを 押した。 そして何度目かのコール音の後にやっとキョーコ本人が出てくれたことにホッと安堵の息を吐いた。 さてここからは対応を誤らないようにしなくてはならない。 社は何気ない風を装って現場でキョーコの出演した生番組を皆が見ていたことを伝えた。 「み、皆でって…現場にテレビを持ち込んだんですか?」 「ううん、今携帯で見れるでしょ」 ゴメンね、自分がうっかりワンセグ放送なんか見だしたためにこっちは大騒ぎになってるんです。 社は心の中で手を合わせて謝ると、ドラマが始まれば同じ事だと恥ずかしがるキョーコを励まし、早く彼女と話したい らしく組んだ腕にイライラと指を打ち付けている蓮へ水を向けた。 「…おっと、横で早く代われとうるさい奴がいるからちょっと待って」 すると驚いて目を見開いた蓮は、そんなこと言っていませんよ!と不平を言いかけたが、そのまま携帯を差し出すと続 く言葉を飲み込んで大人しく電話に出た。 普段なら社にすら表情を読ませたりしない蓮もキョーコが絡むと判り易過ぎるくらいに表情を崩す時がある。 今もそうだ。 少し前まで不機嫌オーラをそこはかとなく漂わせていたというのにキョーコの声を聞いた瞬間からあからさまに機嫌が 良くなったと判る。 表情も声の明るさもまるで違う。 あらためて社はキョーコの影響力を痛感した。 「キョーコちゃんの声を聞いたほうが元気になれるよ」 蓮が砂を吐くようなセリフを言うのが聞こえる。 しかし今日の場合は本当にそんな心境だったのだろう。 (…すまん、蓮) 先ほどキョーコに対して合わせた手を今度は蓮に向けて合わせた。 すると、他愛ない会話をしていたと思われた蓮の顔が急に真っ赤になり、絶句したまま通話を切ると自分の携帯を取り 出して凄まじい勢いでメールを打ち始めた。 直接話した方が短時間で用が済むと、よっぽどのことがない限り蓮はメールなど使わないというのに… そして送信ボタンを押し終えた蓮は表情を改めながら社の携帯を差し出して言った。 「すみませんが、今日はタクシーを呼んで帰ってもらえますか?」 ああ、帰りにキョーコちゃんを迎えに行くんだな… タクシーには相乗りしていた人物がいたようだから迂闊な事はいえなかったのだろう。 それでメールか。 納得した社が自分の携帯を受取ると、ふと先程の蓮の状態を思い出して訪ねた。 「なあ、蓮。キョーコちゃん電話で何て言ったんだ?」 すると普段通り冷静な表情に戻っていたはずの蓮の顔が再び真っ赤になって… ありえない… 演技でなく素で赤面する敦賀蓮をこの目に見る日が来ようとは。 驚いた社が眼鏡を外して何度も目を擦っていると、 「さあ、もう行きましょう」 と蓮は席を立って一人でさっさとスタジオに戻って行ってしまった。 その表情はもういつもの蓮に戻っていて… 何を言われてあんな顔をしたのか、この様子ではきっと口を割る事はないだろう。 個人的には気になる所だが、マネージャーとしては蓮の機嫌が直ったならそれでいい。 それにしても蓮の心を自在に浮き沈みさせるキョーコという少女は本当に、 「スゴイ子だなぁ…」 実感を込めて呟くと社は蓮の後を追いかけてスタジオへと向かったのだった。 End |