( 敦賀蓮グッドエンド/付き合って3ヶ月以上 ) 「あ〜今日は本当、目が回りそう…」 移動のタクシーの中でマルミーこと丸山留美が呟いた。 新番組が始まる時期は芸能人は忙しい。 連続ドラマに出演していれば撮影の他に番宣のためのバラエティやトーク番組への出演が増え、報道番組や雑誌のイ ンタビューなどにも答えなくてはいけない。 ダークムーンの時などは主役を張る蓮と百瀬逸美が一手にその役を引き受けていたが、今回のBOX'Rの場合、主演の 丸山留美の他にキョーコも物語のキーパーソンとして注目され、二人一緒に番組収録に呼ばれることが多かった。 実際に今日も午前の授業を途中で抜けて、昼の生番組にゲスト出演したかと思えばそのまま同局の朝の報道番組用 にとインタビューを録り、そしてこの後は雑誌の取材と、更にトーク番組の収録が控えていた。 何とハードなスケジュールか… 「んぐっ………、あはは。でも注目してもらえる事はありがたいことだし、ドラマを見てもらうためにも頑張ろ!」 口の中に入っていたサンドイッチを飲み下すとキョーコは留美に明るく返した。 落ち着いて食事を摂る時間もなくて二人は移動のタクシーの中で遅い昼食を頬張っているのだ。 「そうよ留美。今回のドラマは留美が主役なんだから弱音吐いてる場合じゃないよ。ホラもうじきスタジオに着くから早く それ食べちゃいなさい」 助手席から振り返ったマネージャーが留美を急かす。 留美は行儀悪く口に食べ物を入れたまま返事をした。 「ふぁい…」 「留美、飲み込んでから返事なさい。それから口の周りにソースが付いてる。コラ、手で拭かない。ティッシュは?女の 子なんだからそれくらい常にバッグに入れといて。もう〜膝にもパンくずが落ちてる…そういう時はあらかじめハンカチ を敷いて…ああ!タクシーの中で払わないの!!もう子供じゃないんだからしゃんとして」 あれこれと世話を焼かれることに慣れているのか留美はマネージャーの小言を気にすることなくのんびりとパンを齧って いる。 キョーコにはまだ自分付きのマネージャーなどいないから何だか不思議な感じだ。 だけどきっと自分にマネージャーが付いたとしてもこんな風に世話を焼かれる事はないだろう。 二人のやり取りを見ていたキョーコの胸がチクリと疼いた。 昔からそうだ。 キョーコは子供の頃から自分の事は何でも自分でする癖が付いていた。 大人の手を煩わせない…それが自分を守る唯一の方法だったから。 『キョーコちゃんは手が掛からなくて助かるわ…』 そう言ってもらえるうちは居場所を与えてもらえる。 だから仲居の仕事も厨房の手伝いも何だってやった。 ショータローを慕う女の子達に苛められ、学校ではたった一人孤立して泣きたい時もあったけれど伸ばした手を払われ るかもしれないという恐怖が誰かに助けを求める気持ちを挫かせた。 寂しさも切なさもそんな気持ちはねじ伏せて気付かない振りをする。 それでも堪えきれずに溢れた分はコーンに吸い取ってもらう。 そうやって大概の事は乗り切ってきたのだ。 だから大丈夫。 私のことを気に掛ける人がいなくたって一人でやっていける。 そんな風に考えている時だった。 マナーモードにしっぱなしだったキョーコの携帯がバッグの中で震えだした。 「はい、最上です」 「あ、キョーコちゃん?やっと繋がった」 電話をかけてきたのは蓮のマネージャーの社だった。 「今日は予定がぎゅうぎゅうだって椹さんも気にしてたけど、電話に出られなかったってことは今まで仕事だった?」 「はい、今は移動中です」 「そっか、車移動だから大丈夫だろうけど、忙しいと注意力が散漫になるから怪我とか忘れ物に気をつけてね」 現場にいない時にまで気を使ってくれるこのマメさは社のすごい所だ。 「あ、そうそう昼の番組、休憩中に皆で見てたよ。イジメ役といっても未緒とは随分雰囲気が違っててスゴいよね〜」 皆で?! 社の言葉にキョーコの声が裏返った。 「み、皆でって…現場にテレビを持ち込んだんですか?」 「ううん、今携帯で見れるでしょ」 違うドラマの現場の人たちにナツ魂を注入している自分を見られるのは何だか物凄く恥ずかしい。 「できれば、内緒にしておいて欲しかったんですが…」 ううう、と唸って電話口の社に恨み言を言う。 「まあまあ、恥ずかしい気持ちは判るけど、オンエアが始まればどのみち同じことなんだからあまり気にしないで… おっと、横で早く代われとうるさい奴がいるからちょっと待って」 電話のすぐ近くで、そんなこと言ってませんよ!という聞きなれた声が聞こえる。 それだけでキョーコの心臓はどきりと弾んだ。 「もうあの人は、…もしもしキョーコちゃん?」 低くて甘い声がキョーコの耳を撫でた。 「今、移動中なんだって?ずいぶん忙しそうだけどちゃんとごはんは食べた?」 「さっき食べたところです」 ……変なの。 それは食事を疎かにしがちな蓮にキョーコが普段言っている言葉だ。 そう切り返すと、 「うん?そういえばそうか」 いつもと逆だね、と電話の向こうで蓮が笑う。 釣られるようにキョーコも笑った。 何だろう?些細な会話が凄く嬉しい。 ドキドキと高鳴っていた胸にじんわりと暖かい気持ちが広がった。 社がそして蓮がこんな風に自分を気遣ってくれるのが嬉しくてたまらない。 今日はたまたまキョーコの方が目を回しそうなほどのスケジュールになっているが、いつもは蓮の方が数段忙しい。 その膨大な仕事量をこなした上で尚、蓮はキョーコには恋人としての顔も覗かせてくれるのだ。 さっきまで一人でも平気だと思ってた気持ちが吹き飛んだ。 こうやって忙しい時間を縫ってでもキョーコのことを心配してくれる人がいる。 どうしよう。 顔がにやけてしまいそうだ。 嬉しさが溢れて胸が一杯になっていく。 「そちらはどうなんですか?」 「ん?ああ、これからシーンが変わるから衣装替えの最中。女性陣の髪型とメイクの直しもあるからちょっと時間が空い たところ」 「いいんですか?せっかく休憩できるのに電話なんかしてて」 「ただ休むよりキョーコちゃんの声を聞いたほうが元気になれるよ」 普通の会話の中にすら甘いセリフをサラリと混ぜ込む蓮の言葉に、キョーコの顔がボンと火を噴く。 それを見ていた留美のマネージャーがどうしたのかと突っ込んできた。 「あら、京子ちゃん顔が真っ赤よ」 「ホントだ〜なになに彼氏からの電話?」 留美までもが興味津々といった顔で覗いてくる。 ううっ 困った。 狭い車内での会話だ。 今の留美達の声も携帯は拾ってしまっただろう。 否定すべきか肯定すべきか。 会話の流れを反芻してみる。 …………… ……… …… 大丈夫。 名前も呼んでいないし、まさかこんな新人タレントの電話相手が敦賀蓮だと思うまい。 「そう、なんです」 ぽそりとキョーコが呟くと、羨ましい〜〜っ!!とタクシーの床を踏み鳴らして二人はきゃあきゃあ騒ぎ出す。 口煩いマネージャーも余所のタレントの恋話には興味があるらしい。 大騒ぎする客達に運転手が驚いて目を剥くのが見えた。 キョーコはちょっとすみませんと二人に背を向け電話口を手で囲い、 「ごめんなさい騒がしくして。こんな状況なのでもう切りますね。心配して下さってありがとうございます。そちらも頑張っ て下さい」 まくし立てるようにそれだけ言うと、 「大好きです」 と最後に小さく囁いて蓮の返事も聞かないうちに電話を切った。 そして、相手は誰?業界の人?もしかして同じ事務所?と鼻息も荒く詰め寄ってくる二人を、 「運転の妨げになるから静かにした方が良くないかしら…」 ナツモードを全開にして黙らせた。 車内がシンと静まり返る。 するとキョーコの手の中でまたもや携帯が震え出した。 今度のそれは電話ではなくメールの受信を知らせるもので、 送信者は蓮。 件名は無題のままだった。 いきなり電話を切ったことを怒っているのか? メールを開くとキョーコの顔が再び赤くなった。 From 敦賀蓮 Sub 無題 俺を煽った責任は取ってもらうよ。 仕事終わりに迎えに行くからスタジオで待っていて。 追伸:覚悟しておいで。 End |