( 敦賀蓮グッドエンド/付き合って三ヶ月程 ) ダークムーンの撮影が進むのと平行して敦賀蓮には映画出演の話が進んでいた。 その映画で蓮が演じる予定の B.J という冷酷な殺人犯は、共演者にも制作発表の場でも誰が演じるのか秘されたまま で公表されないのだと言う。 映画の宣伝としても、話題作りとしても面白い企画ではあった。 しかし蓮のマネージャーとして社は名前が公表されないことに憤を感じずにはいられなかった。 あの役を演じたのは一体誰だったんだ? と、映画が終わった後でも騒がれるように、エンディングのスタッフロールにすら名前が乗らないというのだ。 これではどんなにいい演技をしようとも世の中にそれが蓮だと認知されることはない。 マネージャーとしてこれを怒らずにいられようか?! しかし当の蓮本人はニコニコとその条件での出演を快諾してしまい、更にその方が演じやすいというので社も不承不承 納得するしかなかった。 おかげで情報が漏れないように気を使い、細かな打ち合わせは専ら蓮のマンションが使われることとなった。 もともと事務所へ顔を出さずに直接現場入りするようなスケジュールの場合、蓮を迎えにこのマンションに立ち入ること は度々あったが、この映画の話が決まって以来、社は映画会社と蓮との橋渡しでここに足を運ぶ回数が増えていた。 今日も朝からここに来たのは昨夜のうちに事務所にFAXで送られてきた大まかな撮影スケジュールの確認と台本の第 一稿を届けるためだ。 ピンポーン…… ……………… ……… カチャリとロックの外れる音がする。 「おはようございます、社さん」 う〜んやっぱり今日もダメだったか。 扉を開けてくれた蓮の顔を見た社は少しだけ落胆した。 腕時計を確認してもまだ8時にすらなっていない。 昨夜の帰宅時間を考えるとまだ寝ていてもおかしくないと思ったのだが、蓮はすでに着替えを済ませスッキリとした顔を している。 社は蓮の担当マネージャーになってからこれまで寝起きでぼやけた顔をした蓮の姿を一度たりとも見たことがなかった。 ( コイツめ、プライベートくらいダラけてもだれも文句言いやしないぞ… ) 社などはそうは思うのだが、結局 『 いつでも隙のない蓮のだらしない所を見てみたい… 』 というくだらなくもささやか な願いは今日も叶わなかった。 「俺の顔を見るなり溜め息つくの止めてもらえますか?」 頭上から蓮の視線が降り注ぐ。 そうだった。 自分は仕事をしに来たのだ、個人的な好奇心などは横に置いておかなくては… そう思い直し、蓮に促されてマンションの中に足を踏み入れた瞬間社は回れ右をしたくなった。 ………女物の靴がある。 しかもこれは見たことのあるものだ。 「蓮……昨夜、キョーコちゃん泊まったのか?」 「ええ、一緒に食事したら遅くなったのでそのまま泊めましたけど。疲れてるみたいでまだ寝てますが」 泊めましたけどじゃなーーーーい!! 彼女がまだ寝ている部屋に知り合いとはいえ簡単に男を上げるんじゃない!! はっ!そういえばキョーコちゃん程じゃないけれど、蓮もこと恋愛に関してはチャンネルがどこかおかしいんだった… 世の女性に抱かれたい男No.1と言わしめるこの男はおよそ執着と言うものに無縁で、二十歳を過ぎても真っ当な恋愛 をしたことがないと社長にばっさり切られた経験がある。 現在の恋人、最上キョーコに出会うまでは。 「俺、出直そうか?」 靴を脱ぐ前に蓮に聞き直す。 すると、 「どうしてです? リビングで打ち合わせするくらいならベッドルームまで響きませんよ」 はいはい、ゲストルームじゃなくてベッドルームで寝てるんですね、キョーコちゃんは。 社は蓮の後ろに付いていきながら軽い頭痛を覚えていた。 ※※※※※※ 「社さん、コーヒーでいいですか?」 キッチンから蓮が聞いてくる。 「いや、気を使わなくていいよ」 社としてはさっさと打ち合わせを終わらせて事務所に戻りたい。 そしてドラマの現場に入る前に蓮に事務所に寄って拾ってもらえばいい。 とにかく今ここに長居するのは危険だ!! 社の男としての本能がそう告げている。 社は鞄からFAXのコピーとスケジュール帳を取り出すと蓮が戻ってくるのを待った。 しかし、変われば変わるものだ。 出会った当初の蓮とキョーコは、ほぼお互いがお互いを無視し合っているような状態で、非常に険悪な雰囲気だった。 蓮が他人へ対して感情を露にするのを見るのは極めて稀で、その蓮の感情に揺さぶりを掛ける最上キョーコという少女 には社も興味を抱かされた。 そしてどうやら蓮の感情に含まれるものが 『 気になる後輩 』 以上のものであると確信するに至ってはどうにかして二人 を結び付けられないものかと躍起になったりもしたのだが… 「こうやってお泊りするような仲にまでなるとはねぇ…」 蓮も変わったがキョーコの変化も目覚しかった。 花が綻ぶ瞬間ような輝きと匂い立つような色気を漂わせるようになって、傍で見ている社もハッとさせられる時がある。 そのくせあまりにも無防備で、男心を擽ることこの上ない。 ラブミー部員として出会ったばかりの頃とは大違いだ。 何だか感慨深いものを感じてしまい社はふっと自分の回想の中に沈んでいた。 そこへ、ほてほてと間延びした足音が近づいてきたかと思うと、社の座るソファーの後方にあるドアが音を立てて開い た。 反射的に視線がそちらに向く。 「キョ…キョーコちゃん…」 ドアの向こうには社の心配の原因たる蓮の恋人、最上キョーコが立っていた。 起きたばかりらしいぼんやりとした目はどこか虚ろで視線が定まっておらず、蓮のものと思しき全くサイズの合っていな いパジャマの上着を着て見るともなしにリビングの中に視線をさまよわせている。 裾から覗く素足が眩しくて、社は思わず目を逸らした。 まったく、なんて無防備な姿で出てくるのか?! 健康な成人男性に今のキョーコの格好は目の毒だ。 だから出直そうかって言ったのに〜〜〜〜〜っっ!! 社は心の中で少しだけ蓮を恨んだ。 そのキョーコがふらふらと覚束ない足取りで近付いてくる。 危なっかしいな……そう社が思った瞬間、かくんとキョーコの膝から力が抜けた。 「あ!!」 危ない!と声にするより早く、いつの間にキッチンから戻ったのか蓮がコーヒーを乗せたトレーを持ったままでキョーコの 身体を支えた。 「社さんすみません、コレお願いします」 社にトレーを手渡すと蓮はキョーコの身体を抱え直し、その顔を覗き込む。 表情が蕩けそうなほど優しくなった。 「まだ寝ててよかったのに目が覚めちゃったんだ?」 「…う?……」 寝ぼけたままのキョーコは返事もどこかたどたどしい。 「学校に行くにしても事務所に行くにしても送ってあげるからまだ寝ていてもいいんだよ」 「…つ…るが…さ…」 くたりと力を抜いたキョーコは甘えるように蓮の胸の中に身体を預けている。 「昨夜は遅くまで眠らせてあげられなかったし…ね。 すみません社さん、ちょっと彼女をもう一度眠らせてきます」 さらりと聞き捨てられない事を言ったと思うと蓮はキョーコを抱き上げそのままベッドルームへと運んでいく。 その背中を見送った社はトレイをローテーブルに置くと頭を抱え込んだ。 「も〜〜〜俺ってば、完全にお邪魔虫じゃないかっっ」 しかも新婚家庭にうっかり迷い込んでしまったかのような甘い空気に思いっきり当てられている。 「あの二人が幸せなのは俺としても嬉しいんだけどさ…」 この先ちょくちょく先程のような場面に遭遇するのは勘弁させてもらいたい。 超多忙な蓮に少しでも休む時間を取って欲しくてここまでせっせと足を運んでいるけれど、 ( 打ち合わせ、これからは事務所でやらせてもらおうかな…… ) 社倖人26歳。 恋人にいないことが無性に寂しく感じる冬の日の朝であった。 End |